文系大学院生の傾向と対策
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「文系大学院生の傾向と対策」(bunkei-insei)

第9回 大学院の現状と課題

大学院をとりまく環境が変わっていくなか、

大学院はどのような現状にあり、

そこからどのような問題(解決するべき課題)が生じているのでしょうか。

ひきつづき「我が国の高等教育の将来像(答申)」と、

この文書をまとめるまでの中央教育審議会大学院部会

議事録を参考にしていくことで、

文部科学省はどのような問題を拾い上げているかが

わかってくるでしょう。


いまの大学院のあり方についての話し合いのなかで

いちばん繰り返して言われていることは、

「各課程において、どのような人材の育成を目的としているのかが明確ではない」ということです。


大学院で何をやっているのかよくわからなくて、

教育カリキュラムも体系的ではないので、

博士号を取って大学院を修了しても、

修了した人にどういう付加価値があるのか、

大学の外の人たちにはよくわかりません。


企業の側にしてみれば、大学院を出た人たちが

どういう価値を生み出してくれるかもよく分からないのに、

学部卒の人たちよりも高いお金を払って

積極的に雇うだけのメリットがないということになるでしょう。


学生の側にしてみれば、大学院を出ても

どういう能力がつくのか、どういう仕事につけるのか

よくわからないので、優秀で自分の将来のことを

学部生の頃からはっきり考えようとする人ほど、

大学院に進学するのはやめようかな、と思うかもしれません。

第8回 大学院をとりまく環境

文系大学院生が

博士号を取得したからといって

必ず就職できるわけではないという状況があるとすれば、

それはなぜなのでしょうか。


大学に閉じこもって、職業生活に役立つ経験を

ないがしろにしてきた人たちが一方的に悪いのでしょうか。

文系大学院生が自分の幼稚さを徹底的に批判すれば

問題は解決するのでしょうか。

それとも、

日本の文系大学院のありかたに何か問題があるのでしょうか。

それは今後変わっていくのでしょうか。

まず今回は大学院をとりまく環境について見ていきます。


前回に言及した

「我が国の高等教育の将来像(答申)」には

日本の高等教育の「グランドデザイン」が書いてあるそうです。

それを参考にしてみます。


21世紀は知識基盤社会になるので、

大学院を含めた高等教育機関は

国家戦略にとって重要になるそうです。

教育水準が高い人は付加価値の高い仕事ができて

国が儲かるので、大学院で学位を取るような人は

日本の社会で歓迎されるはずではないでしょうか。


少子化のせいで2007年には短大・大学に

入りたい人は全員どこかに入学できることになるそうです。

ということは、大学のほうで自分の個性を出して営業努力をしないと、

若い人にそっぽを向かれてしまう可能性があります。


高齢化社会になると、高齢の人が働くことも

珍しくなくなります。仕事のための知識を身に付けたり、

知的探究心を満たしたりする生涯教育の場として

高等教育機関はどんどん地域社会に開けていく必要があります。


必要に応じて高度な知識を身につける社会になると、

従来の学歴偏重型社会は過去のものとなり、

「高等教育機関と実社会との「往復型社会」への転換

が加速する」ことになるそうです。

大学院へ社会人入学するような人たちが増えてくるということでしょう。

第7回 文系大学院生の就職率(人文系の例)

今回から不安の内容を検証していきます。

文系大学院生は

このまま研究を続けても仕事がないのでしょうか。


文系大学院生は就職がとても厳しいという噂だけを

聞いていると、院生たちは不安になるばかりです。

日本の文系大学院生の就職率は何パーセントなのでしょうか。


文部科学大臣の諮問機関である中央教育審議会(以下、中教審)が発表した

「我が国の高等教育の将来像(答申)」のなかに、

日本の大学院生の学校種別分野別卒業後の進路について、

統計結果がありました(元典は文部科学省「学校基本調査」(平成16年度))。

ここでは人文系の大学院を例に取ります。


平成16年に日本の大学院で人文系の修士課程を卒業した人たちは

4,856人だそうです。その進路の内訳は、

進学者: 1,228人

就職者: 1,463人

その他: 2,165人

すなわち、人文系修士の就職率は約30%となります。


博士課程の場合はどうでしょうか。

「卒業者には学位を取らずに満期退学した者を含む」そうです。

卒業者: 1,283人

進学者:   0人

就職者:  382人

その他:  894人

すなわち、人文系博士の就職率は約30%となります。


「その他」の進路とは、「一時的な仕事に就いた者,

専修学校等への入学者,死亡・不詳の者等を指す」そうです。


「一時的な仕事に就いた者」とは、

いわゆるオーバードクターが考えられます。

この人たちはどうやって暮らしているのでしょうか。

大学の非常勤講師をいくつかかけもちしたり、

塾や予備校の講師、

あるいは大学の研究室で研究補助員という肩書きで

雇用されていることが考えられます。


しかしそれらはいずれも「一時的な仕事」であり、

学位を取る取らないは別としても、

博士課程という進路を選んだ人たちの実に7割が

卒業後も不安定な境遇に置かれている
ことになります。

また、博士号を取得したからといって必ず就職できるわけではない

ということがわかります。

第6回 不安の構造(3)

文系大学院生の将来への不安


1.このまま研究を続けても仕事がない。

2.このままずっと貧乏暮らしだ。最悪の場合、将来はホームレスだ。

3.自分は生活無能力者だ。社会の余計者だ。

4.研究を続けているせいで一生孤独だ。

5.研究しかできないがそれに生きがいが見出せそうにない。

6.研究をやめてしまったら自分の人生は終わりだ。

第5回 不安の構造(2)

文系大学院生が不安に打ち勝つためには、

自分がいったい何を恐れているのかをしっかりと知り、

それが本当に根拠のある恐れなのか、

問題になっていることは本当に出口がないのか、

勇気をもってひとつづつ検証していくことが必要であるように思われます。


そうした作業を続けていくうちに、

ぼんやりとした不安の原因とは、

世の中に自分の知りたい情報が充分に出回っていないだけではなくて、

自分が実は既に心の奥底で気づいているのに、

できれば認めたくないことを、

ただ勇気をもって考えようとしてこなかっただけだ
ということに気づく可能性があります。


これまで書いてきたことと重複する部分もありますが、

文系大学院生が漠然と抱いている将来への不安の内容を

できる限りはっきりと数え上げて、

そのひとつひとつがほんとうに恐れるべきことなのかを考えていきたいと思います。

第4回 不安の構造(1)

文系大学院生は不安の中に生きています。


将来はどうなるのだろう?


人によってそれはマイルドな不安であったり、

胃から血が出るほどの激烈な不安であったりします。

不安から抑うつ状態になる人もいます。


不安に共通していることは、

つかみどころがないという点です。


しっかりと自分の今の状態を見定めて進んでいこうとしても、

大学院の中にこもっていると、

自分と世の中の関係がどうなっているのか、

はっきりと判断できる材料がなかなか見当たりません。

文系大学院生の可能性がどれほど限られていて、

今の状態でいることがどれほど危険なのかをはっきりといってくれる人がなかなか周りにいないからです。

でも今のままではいけないのだろうなと、

ぼんやり思いつづけています。


また、自分の今の状態がどれほど危険なものかを

はっきりと理解した場合でも、

その状態からどうやって抜け出してよいのか分からず、

歳ばかり取っていくことにあせり、

希望を失いかけています。


不安の正体が分からず、

まるで真っ暗闇のなかにいるように、

どこに向けたらよいのか分からない全方位の警戒と恐れが続く限り、

文系大学院生は心身を激しく消耗し、時間も浪費し続けるでしょう。

第3回 入学の動機

たしかに、大学院に入学するということは、

興味のある分野を究めるという目的あってのことでしょう。

大学に残れば思う存分研究に時間を使うことができます。


しかし、大学院生であるということは

もう一つ別のメリットがあったのではないでしょうか。

つまり、働かずしてある種の社会的地位が

確保できるということがありはしないでしょうか。


朝から晩まで仕事に拘束されるよりは、

好きなときに起きて好きなときに研究をしたほうが

ずっと楽です。

日本でNEET(Not in Employment, Education or Training)

と呼ばれている人たちは68万人ほどいるそうですが、

文系大学院生は少なくとも教育機関に通っているので、

NEETではないわけです。


変わった学問をしていますねと驚かれることはあっても、

無業者として白い眼で見られることはありません。

だから自分でも、なんとなく

今のままでいいんじゃないかと思ってしまいます。


そんなふうに自分を許して、

すべてがぬるま湯の中で過ぎていくと、

社会に出て必要なスキルを学ぶべきときに

自分は時間を無為に過ごしているということに、

なかなか気づきません。


人文系の学問はビジネスと全く関係がないことが多く、

社会科学系の大学院生のように専門性を活かした

シンクタンクへの就職や公務員への転進も困難です。


したがって、大学教員という道が絶たれたときに

他に何かをしようと思っても何もできないことに気づき、

あわてふためくということが起こります。


たとえ学問への純粋な愛があったとしても、

こうした事態は文系大学院に入学した

本人の責任以外のなにものでもないでしょう。

社会に出る代わりに大学に依存の対象を求めた

結果であるともいえるでしょう。

第2回 こんなはずじゃなかった

たしかに、大学院に入学した人たちは、

(ある程度)研究が好きだったことでしょう。

自分の興味ある分野について、

知識を深める希望を抱いていたでしょう。


ところが現状はどうでしょうか。

大学院生は学部の学生や就職した友達に比べると、

なんだか元気がありません。

社会の日陰者になってしまったみたいに、

ひっそり暮らしています。


文系大学院生は貧乏な人が多いようです。

貧乏でも好きな研究ができているならいいじゃないか、

と就職した方は思うはずです。

でも彼らは自分の研究がそんなに好きそうではありません。


教養があるならすごく多趣味な人なのでしょうね、

というイメージはあまりあてはまりません。

そんなに好きでもない研究のほかにはほとんど無趣味のようにみえます。

研究をしているせいで時間もお金もなく、

働いている同世代の人に比べると、

遊びや人間関係の幅、生活体験の幅が狭いようです。


それならはやく大学院など出て行けばいいじゃないか

というのはまっとうな意見です。


しかし文系院生はすでに大学院から出て行くことが難しくなっています。

学業を途中で投げ捨てることは大きな挫折です。

それに大学院に特有の価値観、システムに身を置いてきたために、

文系院生は知的、経済的、体力的に衰弱し、

そのままでは大学外の社会生活に適応できなくなっている場合が

少なくありません。


また、そんな状態にありながらも

文系院生は大学のシステムにメリット、依存の対象を見出しています。

それゆえ大きなデメリットを感じながらも出て行くことができない

という抜き差しならない状況に陥っています。

そうした構造を分析するためには、

文系大学院生がそもそもどうして大学院に入ったのか、

入学の動機を見ていかなくてはならないでしょう。

第1回 抑うつ状態の文系大学院生

あなたは文系大学院生ですか?

もしそうなら、ここにあなたの姿はありますか?

そんなもの関係ないという方も、ちょっと待ってください。

いま、日本の文系大学院生の現状は、とくに人文系は、

大変なことになっているように思うのです。


国は高度知識社会への対応をうたい文句に、

大学院の定員を増やす傾向にあります。


それの何が困るのでしょうか?


文系大学院生は大学教員を目指す人がけっこう多いのです。

ところが日本では少子化が進み、学生数がどんどん減っていきます。

大学の先生もだんだん減らさなくてはいけません。


つまり、文系大学院生の数が増えて、

大学教員の候補者がどんどん増えていっているのとは逆に、

空きの出る大学教員のポストはどんどん減っているのです



それなら大学を出て就職すればいいじゃないか、

と考える方も少なくないでしょう。

ところが、企業は文系大学院卒の採用には

一般的にあまり積極的ではないのです。


文系院生は学歴を高めれば高めるほど、

年だけ取って路頭に迷う危険性が高まっていく


という倒錯した事態が起こっています。

ストレスに耐えかねて抑うつ状態になってしまう人も出てきています。

なぜこんなことになってしまうのでしょうか。